株式会社 一柳アソシエイツ

一志会
「一志会」は、閉塞感が覆われた日本社会を活力あるものにするためには
他人任せにせずに、一人一人が「公の精神」をもって積極的に
社会との関わりを持っていくことが必要、との認識のもとに、
2010年12月に発足した限定メンバーによる新しい形の
”コミュニティー”です。ここには、一柳の生き方に賛同した
主に大企業の経営者が各分野から参加されています。

2015.02.11 更新

一志会の特別例会(島精機製作所視察・研修会)を実施しました。

一志会では、例会とは別に、会員有志が幹事となって、毎年、一泊の特別例会を企画・開催していますが、今回は、椎名氏(PWC社長)及び島氏(島精機製作所副社長)が幹事となり、和歌山の島精機製作所の視察・研修会を
2月6日に実施しました。


一志回 島精機集合写真

 視察では、まず会社全体の概要説明を受けた後、製造現場を見て回りましたが、まず目についたのは、工場内には他の企業ではよく見られる「スローガン」が掲示されておらず、明るく空調に配慮されたきれいな工場で作業員が移動して機械を1台1台組み立てていく動きは整然としていました。敷地の緑地率も30%を超えて、構内の厚生施設も地域住民にも開放されており、地域との共生が図られていました。

説明する島社長 続いて、創業者である島正博社長からのお話を伺うこととなり質疑応答の形で進められましたが、参加者からの「社長の想像力はどこから出るのか」「従業員のレベルを向上させるのにどのような工夫をされているのか」などと相次いで出された質問に、一つ一つ丁寧にお答えになりました。話された中で印象的だったのは、「少年時代に蜘蛛の巣を見つめていて、原点回帰の重要性を理解した(蜘蛛の巣の原理)」「自分は貧しい家庭で出来の悪い子でした。その時、ビリでも誰もいない反対を向いて走ればトップになれる」「利益は配当に4割、会社に4割、社員に2割(利益三分法)」であり、「ひらめきと好奇心、逆転の発想」という言葉でした。

 島精機製作所は、島正博社長自身が開発した全自動手袋編機の製造販売を目指して、1962年に若干25歳で設立したのが始まりですが、幼いころから貧しい生活の中であっても旺盛な好奇心、研究心、そして熱い情熱の持ち主で、16歳の時にはアルバイト先の手袋編機修理工場で新機能装置を開発する(実用新案)など、早くから機械類の開発に秀でた才能を発揮して、注目されていました。
 その後、いち早くコンピュータの可能性に着目し、コンピュータ制御の横編機を開発、デザインシステムの開発等相次いで新製品を世に出し、1995年には世界初の完全無縫製型のコンピュータ横編機(ホールガーメント)を発表し、世界のニット業界に革新をもたらしました。その後も、横編機の新機種開発で業界を先導するとともに、無製版型プリンティングマシンや自動裁断機など、周辺分野でも特色ある新製品を開発し事業基盤を拡充してきています。そして、島社長は、発想力が抜群でこれらの新製品開発の先頭に立ち、大河内賞はじめ数々の栄誉に浴し、「日本のエジソン」といわれています。
 しかし、ここまでくる過程では、幾度か倒産寸前まで追い込まれる事態に直面し、その都度、持ち前の不屈の精神と日ごろからの振る舞いを認められての周囲の支援を受けて、乗り越えてこられました。
 その経験を通じて、島精機製作所の経営理念は「限りない前進-Ever Onward」と定めるとともに、「give and given =与えれば与えられる」を信念とされています。また、会社設立以来、生まれ育った和歌山の地を離れることなく、販売は世界を相手にしながら、研究開発・製造は和歌山に腰を据えています。また、過去の苦い経験を活かして、良い品質の製品を提供することに徹底しており、足りない設備は自社開発するという姿勢で、自社での内作率を75%以上に高めていることでも注目されています。

 この後、2009年に開設した「ニットミュージアム」を見学しました。これまでに開発した機械の歴史や原理などをわかりやすく展示されていて、「逆転の発想」の一端を理解できました。

ニットミュージアム見学


懇親会風景 その後、研修会・懇親会を島精機製作所が関係するゴージャスな、和歌山城の見えるレストランで開催しましたが、島社長も同席され、先ほどの質疑に続いて苦労されたお話を含めて拝聴するとともに、質問にも率直にお答えいただきました。高級な美味しいワインと豪華な料理に舌鼓を打ちながら、日本伝統芸能にも触れるというサプライズもあり、島社長を囲んで夜遅くまで談笑が続きました。

 

 参加者からは、島社長のお人柄に直に接し、想像を絶する体験と生き方に刺激を受けるとともに、感銘を受けたとの声を沢山いただきました。